我が国では、しばしば冷害に悩まされる東北の農業・東北の園芸作物の試験研究が強く望まれ、1938年(昭和13年)に藤崎町に創設されたのが「農林省園芸試験場東北支場」です。園芸試験場の誘致にあたっては、いくつかの市や町が活発な誘致合戦を展開していたのですが、農林省の実地調査の結論は、"藤崎町"に設置したいというもので、誘致合戦を展開した地域や当の藤崎町の関係者を驚かせたといわれます。

 試験場は、1938年(昭和13年)4月に開場され、その年の11月に施設の落成式が盛大に行われました。場所は、藤崎町大字藤崎字下袋の、現在の弘前大学農学生命科学部付属生物共生教育研究センター藤崎農場や県立弘前実業高等学校藤崎校舎、みどり団地がある約18.5ヘクタールの広大な場所です。

 園芸試験場では、開場と同時に寒冷地の園芸作物に関する広範な研究にとりかかり、数々の目覚ましい成果を生み出しました。その最大の成果が「ふじ」の育成ということになります。

 りんごなどの新しい品種を作るには、おしべから採った花粉を別の品種のめしべにつけ(交配)、そして生まれた果実から採った「種子」を植えつけて、生えてきた小さな木(実生)を育て、その実生や果実の、形や色や味や貯蔵力、木の性質や病害虫に対する強さ、実際の栽培のやりやすさなどの優秀なものを選び、さらに選ばれた候補を何年も試験栽培して、いよいよ立派な品種だということになって、名前がつけられ登録されます。りんごの新品種は、気が遠くなるような長い時間とたくさんの人の根気かがいる仕事の繰り返しから生まれるのです。


 

※この動画は2004年に撮影したものです。

「ふじ」の誕生
交配

 1939年(昭和14年)、「デリシャス」の花の花粉を「国光」の花のめしべに交配。この年この組み合わせから、274個の果実を収穫しました。

実生

 翌1940年(昭和15年)、この果実から得られた2004粒の種子に植え付け、968本の実生が育ち、畑に植えつけられました。

初めて実をつける

 1951年(昭和26年)です。

選抜

 たくさんの試験検討の結果、1958年(昭和33年)「東北7号」として選抜、同時に多くの研究機関や栽培家の手で試験栽培が行われました。この時点で注目を集め、普及がすすめられています。

命名

 1962年(昭和37年)3月、全国りんご協議会名称選考会で「ふじ」と命名、同年4月「りんごの農林1号」として品種が登録されました。

 「ふじ」は、「東北7号」と呼ばれた頃から注目され普及がすすめられました。これは異例なことで、このりんごへの期待の大きさが分かります。その期待に違わず、1982年(昭和57年)にデリシャス系を抜いて、我が国の生産高第1位となり、名実ともに日本一のりんごに成長しました。「ふじ」を生んだ、園芸試験場は、1950年(昭和25年)に、「農林省東北農業試験場園芸部」に組織替えされ、盛岡市に移転統合される方針が出されました。そして1962年(昭和37年)に移転を終わり、3月に閉場式を行い、24年間の歴史を閉じました。
 

 現在は、弘前大学農学生命科学部附属生物共生教育研究センター及び弘前実業高等学校藤崎校舎ふじ原木公園に、ふじの原木のひこばえを育成した「原木」が植え付けられており、毎年実をつけています。
 

 

 

 

旧農林省園芸試験場東北支場  「ガラス温室」

 昭和9年に東北地方で起こった大冷害を契機に、1938年(昭和13年)、「農林省園芸試験場東北支場」が、現在の弘前大学農学生命科学部生物共生教育センター藤崎農場や青森県立弘前実業高校藤崎校舎、藤崎町営住宅みどり団地がある場所に創設されました。

 開場と同時に、果樹や野菜の品種改良、栽培改善、栄養生理、病害虫防除に関する様々な試験研究が行われました。寒冷地果樹の育成に関する研究では、現在世界一の生産量を誇るりんご「ふじ」が育成されています。

 園芸試験場東北支場は、1961年(昭和36年)に盛岡移転して、「園芸試験場盛岡支場」となり、23年間の歴史を閉じました。

 このガラス温室は、1938年(昭和13年)に完成し、園芸試験場の研究施設で唯一取り壊されずに残っている建物です。冬の極寒時でもボイラーにより加温することができるため、一年を通して試験研究のできる、当時としては画期的な施設であり、野菜苗の育成、りんご交雑実生の育成、病原菌の摂取試験など、様々な事に使われていました。2010年(平成22年)藤崎町および住民からの要望を受けて、この温室を当時の面影を残しながら末永く保存するため、弘前大学が修復工事を実施しました。

「ふじ」原木の株分け樹

 現在、世界一の生産量を誇るりんご「ふじ」は、かつてこの地にあった農林省園芸試験場東北支場(現 農研機構果樹研究所)が育成し、1962年(昭和37年)に、藤崎町の町名などにちなんで命名・品種登録されたりんごです。

 「ふじ」は、当時の主力品種に比べて抜群の食味を示し、貯蔵性も良いことから、品種登録された直後から、高値で取引され、わが国で順調に生産量を増やしました。1977年(昭和52年)には約二割、1987年(昭和62年)には約四割、1999年(平成11年)には、五割のシェアを占め、現在もそのシェアを維持しています。また、海外でも広く栽培されており、中国で約六割、米国で約一割、韓国では約七割のシェアを誇っています。

 「ふじ」の子供達には、優秀な品種がたくさん生まれています。「千秋」「こうこう」は「ふじ」が父親、「シナノスイート」「北斗」「こうたろう」「ハックナイン」は「ふじ」が母親です。

 「ふじ」は、色づきがあまりよくないのが欠点でしたが、着色のよい枝変わりが各地で次々に見いだされました。現在栽培されている「ふじ」のほとんどは、枝変わりによるものです。また、マルバカイドウなどに接ぎ木して育てられているので、根は「ふじ」そのものではありません。

 藤崎町では、「ふじ」原木のひこばえを譲り受け、原木の株分け樹として役場前で大切に管理・展示されてきました。現在は県立弘前実業高校藤崎校舎の畑に植えられています。ここ藤崎農場にある株分け樹は、藤崎校舎にある樹のひこばえから育てたもので、2010年(平成22年)に移植されました。根も含めて、育成当時の「ふじ」の遺伝的性質をそのまま受け継いでいます。