髙木志朗(1934-1998)は、藤崎町(旧常盤村)榊に生まれ、小学校時代、学校で相撲をとった時の怪我が原因で留年したり、中学を卒業後、画家をめざし東京へ家出したりしたものの、郷里へ帰り弘前中央高校に入学、卒業した時は22歳になっていた。その後念願の武蔵野美術大学に入学するも、独学で版画の制作に取り組むために学問の道を退き、精魂かたむけ版画制作に打ち込む。この頃から数多くの展覧会に出品し続け、1968年「日本の鬼」でクラコウ国際版画ビエンナーレ展でグランプリを受賞する。それまでは抽象的作品が多かった髙木の作品は、1971年のあたりから具象化の方向に進む。そのモチーフは、津軽を題材にふるさとへの郷愁を感じさせる白と黒の世界、花をモチーフにした激しく鮮やかな赤の世界、女性的な日本画風の緑の世界に分けられると言われている。

 髙木志朗は晩年を千葉県船橋市で過ごすが、亡くなる何年か前に、「無名で生活が苦しかった時に援助を惜しまなかった郷里の友人達への感謝を込めて」と作品の多くを当時の常盤村に寄贈したことにより、当館を整備するきっかけとなり、今回はその作品の中から、版画を中心に初期の水彩やデッサンを含め53点展示している。また、普段は見られない「日本の鬼」の版木も7点展示している。

 初期の頃の抽象的な版画から具象化へすすむ後年の作品へと、順を追って観られるように展示したつもりだが、今回、髙木の作品をよく知るお客様からは初期の頃の作品のダイナミックさが大変好評である。そういうお客様は、あわせて凛とした静寂さのなかに佇む「北国の樹」のシリーズ(当館には2作品収蔵)の前でも足を止めるようである。

 町民の方でも、大変多くのかたが髙木の作品をお持ちで「我が家にも(こういう作品が)ある」というお話しをよく聞くが、今回の展示の中から一部だけ紹介する。


▼左「友達」(1954年作 デッサン)、右「妹」(1953年作 水彩)
 


▼高校時代よく通ったであろう弘前城(弘前公園)をモチーフにした作品4作。
 
 左から1953年作、1970年作、1993年作、1981年作である。
 写真ではうまく見えないだろうが、どの年代の作品も当時の作風をあらわしていてお客様に好評のコーナーとなっている。

 


 右から2番目「聖女」(1968年作)は、髙木自らが「おそらくボクの絵の中ではピカ一だろう」と言ったほど、制作にはもっとも時間をかけた作品。男性のお客様に根強い人気がある一枚。

 

 

 

 ぜひ会場でご覧になっていただきたいと思います。
会期は12月15日までです。